遊びの空間、時間、仲間がなくなったといわれて久しくなります。
街には車があふれ、子どもたちの遊ぶすき間がなくなっています。
その声に応えて行政は公園や遊び場をたくさんつくってきました。
それでも、子どもたちはますます外で自由な遊びをしなくなりました。
ゆとりの時間をつくるための学校週5日制も進んできています。
それでも、子どもたちの自由な遊びの時間がどれだけ増えたでしょうか?
IPAは、何をどうすれば子どもが伸び伸びと遊べる社会になるのかを研究します。
問題点を指摘し、よいと思われることを実践し、世間に対して広く訴えます。
正式名称は「International Play Association」。日本語では「子どもの遊ぶ権利のための国際協会」です。
この会が1961年に設立したときには、「International Playground Association」(国際遊び場協会)と呼んでいました。その頭文字をとってIPA(アイ・ピー・エー)。
子どもの基本的人権として<遊ぶ権利>を保護し、維持し、促進しなければならないという考えのもとに名称が変わりました。でも、略称だけは今も元のままを使っています。
1940年代からヨーロッパで、「廃材遊び場」・「冒険遊び場」づくりが盛んになりました。それを熱心にやっていた人たちが、都市化が進む社会ほど遊ぶ環境が悪くなるのを心配して1961年にIPAを発足させました。
その後、1976年にユネスコの諮問団体として認められました。
発足したのは1979年(国際児童年)。ヨーロッパでの冒険遊び場づくりの運動を知った人たちが、遊び場がどんどんなくなっていく東京の街の真ん中で1972年から冒険遊び場を開きました。その人たちが中心になってIPA日本支部を発足させました。
1960年代後半の東京はオリンピック開催(1964)の影響もあったためか、「出るな、歩くな、家にいろ」という交通標語がまかり通るほど交通事情が悪化していた。東北地方から上京し、子育てを始めた大村璋子さんは、近くにできた児童公園も日当りが悪いうえに狭く、スベリ台と鉄棒しかなく子どもはすぐ飽きてしまった。そんなときに「都市の遊び場」(アレン卿夫人著、大村虔一、大村璋子訳、鹿島出版)に出会い、翻訳、出版した。その後で自分の目でヨーロッパの遊び場を確かめようと思い、出かけた。
ヨーロッパの遊び場を回り、写真におさめて来た大村夫妻が、機会あるごとに回りの親立ちにそれらの写真を見せて話をした。それまで何となく東京での子育てに不安を抱いていた人たちはそれを見てはっきり現状を認識したようだった。近くにドブを埋め立てたまま放置してある場所を見つけ、区役所と交渉して、緑道として整備に取りかかるまでの期間、夏休みだけという条件でここを借りて「子ども天国」を開いた。 そこで2年間、夏休みだけの活動をしたあと、桜ヶ丘の区民センター予定地で15ヶ月間毎日「冒険遊び場」を開いた。
上記のような経過は「子どもの声はずむまち」(大村璋子著、ぎょうせい)、「冒険遊び場がやってきた」(羽根木プレイパークの会編、晶文社)に詳しい。
1979年に、日本の各地にいるIPA会員と冒険遊び場に関わる人たちが集まってIPA事務局長のオッターさんを招いて講演会を開き、これを契機に日本の遊びの状況の改善に向けて多くの力を結集させる必要性を認めて、IPA日本支部を発足させた。初代代表は大村璋子さん。
テーマは「遊びと教育」
海外から150名、国内から350名の参加があった(報告集入手可能)。
日本に冒険遊び場を導入し、IPA日本支部の設立、その後11年間支部代表を務めた大村璋子さんに代わって、名古屋で子どもたちに天白公園の自然を残そうという運動をしていた奥田陸子が選ばれた。
メイン会場は福岡市。名古屋でもワークショップ、スタデイビジット、シンポジウムなどを開催。
現在に至る。
工業先進国の都市では生活空間のなかに子どもの遊びの場がなくなったヨーロッパでは労働者が都市に集中、高層のアパート群の出現、車優先の社会となり、子どもの遊び場がなくなった。日本の高度経済成長期のような現象が、日本より30年も早くに出現していたのである。
スウエーデンでは、こうした状況に対処するため、ストックホルムに9ヶ所の遊び場にプレイリーダーを配置して、子どもの遊びを促した。遊び場の数はその後増えていった。
デンマークの都市コペンハーゲンでは、第二次世界大戦で破壊され、子どもたちは疲労困憊している大人たちの中で暗い日々を過ごしていた。子どもたちに元気を取り戻させたいと考えた人たちが建築家のソーレンセン教授の考えに沿った廃材遊び場をつくった。
スウェーデンの造園家であり公園課の職員であったアービット・ベンソン氏はエンドラップを訪れて、大きな感動を覚えた。そしてスウェーデンのヘルシンボリ市に冒険遊び場をつくった。それはスウェーデンのプレイリーダーたちに影響を与えた。
イギリスではアレン卿夫人がソーレンセン氏の考えに感銘を受けてロラード冒険遊び場をつくった。それに影響されてイギリスでいくつもの冒険遊び場ができた。
国連が主催して「遊び場活動」に関するセミナーがスウェーデンで開かれた。
スウエーデンのプレイリーダー、スティナ・ラーソンが国連の技術援助部(UNTAA)のヨーロッパ事務所長Maurice Milhaudに会った結果、1958年に「遊び場活動」に関するセミナーを開催する話が進められ、アメリカ事務所の同意が得られないままにスウエーデンのベルゲンダールで開催された。Milhaud氏はこのセミナーに向けて「社会の変化に伴って浮上してきた遊び場活動を国のレベルで政策に盛り込むことが必要になってきている」とメッセージを送った。ヨーロッパの10ヶ国から42名が集まった。
これが第1回のIPA世界大会となる。
1959年にデンマークのイェン・シスガードはロラード冒険遊び場を訪れ,アレン女史に会った。二人は国際的な組織をつくる必要があり、この国際組織は個人会員と団体会員の両方から構成されるものであるべきで、ただ子どもの遊び場に特別に関心を持つすべての人に開かれていければならない、とすることで同意した。アレン女史は、その年の1月にデンマーク遊び場協会を設立させた国デンマークが中心になるのがよいと考えた。デンマーク遊び場協会の理事たちはこれに同意した。
その結果1961年5月10日〜12日の会合でIPAが 産声をあげたのであった。初代会長にソーレンセン氏(造園家、デンマーク)が選ばれた。
1976年、ユネスコの理事会はIPAをカテゴリーB、つまり情報提供と諮問のグループに加えることを承認。IPA理事会は1997年にパリのユネスコ本部の生涯学習部で会議を開き、ユネスコと協同できることは何かを話し合った。
1976年、オランダでIPA理事たちと各国のIPA代表(連絡員)たちが初会合。
国連の傘下で「子どもの遊ぶ権利によせるマルタ宣言」が生まれた。
1979年の国際児童年に向けて、IPAの理事会が先頭にたって子どもの遊びに関わりのある国際NGOに呼びかけてマルタ島に参集してもらった。国際児童年に向けての共通の行動について1週間の話し合いを持った。その成果として、「子どもの遊ぶ権利宣言」が生まれた。これは世界中、とくにスイスとアメリカの国連国際児童年委員会を通じて広く配布された。
IPA理事会は、1971年、IPAが国連の諸機関と協力関係を保つことが重要であると決議しました。そしてその後、UNESCO、ECOSOC、UNICEFに諮問組織として認定され、これらの機関と共通の理念のもとに活動しています。国連のこれらの機関は、IPAの活動が次の点で国連と関連しているとみています。

United Nations Peace Messenger
これを、もっとわかりやすく言えば・・・
子どもの権利を守ると国連に約束した国は、子どもが体や心を休めたり、ゆとりを持って、年齢にあった遊びやレクリエーション活動をしたり、文化や芸術に自由に参加できるようにしなければならない。
ということです。
「国連子どもの権利条約」ができる以前にIPAは「子どもの遊ぶ権利宣言」をつくった。(1977年)
「子どもの遊ぶ権利宣言」は1977年11月に国際児童年(1979年)の準備のためにIPAが開催したマルタ島での会議で作られました。その後、1982年のウイーンでのIPA評議会、1989年のバルセロナでのIPA評議会で改訂されました。
子どもたちは、明日の社会の担い手です。 子どもたちは、どんな文化に生まれた子どもでも、いつの時代に生まれた子どもでも、いつも遊んできました。 遊びは、栄養や健康や住まいや教育などが子どもの生活に欠かせないものであるのと同じように、子どもが生まれながらに持っている能力を伸ばすのに欠かせないものです。 遊びでは、友達との間でそれぞれの考えや、やりたいことを出し合い、自分を表現します。遊ぶことで満ち足りた気分と何かをやったという達成感が味わえます。 遊びは、本能的なものであり、強いられてするものではなく、ひとりでに湧き出てくるものです。 遊びは、子どもの体や心や感情や社会性を発達させます。 遊びは、子どもが生きていくために必要なさまざまな能力を身につけるために不可欠なものであって、時間を浪費することではありません。
IPAは、下記のような近年の社会の変化が子どもの発達に悪い影響を及ぼしていることを憂慮しています。
子どもに対して問題別に責任を負っている各行政機関へ向けて以下のことを提起します。
遊びは子どもの体と心が健康であるために欠かせないものです。
遊びは教育の一環です。
遊びは、家族生活と地域生活にとって本質的なものです。
遊びの時間、空間、道具、材料、自然の場所を用意し、また、リーダーと遊べるプログラムを用意すること。そうすれば、子どもたちは遊びを通してその地域の一員であることを感じたり、自分の存在を肯定的に認め、遊んで楽しむ心が育ちます。
上記のような情報や意見などをまとめたものを、必要に応じて発行します。
勉強会、研究会、シンポジウム、交流集会などの開催。
地域の会員が集まったり、海外の会員や研究者の来訪などの機会を捉えて、大小さまざまな学習会やシンポジウムなどを開催します。
また、3年毎に世界大会を開催します。
子どもの遊びや遊びの環境の改善に向けて研究したり実践している会員たちの考えや成果を広く知らせて、実効があるものにしていくために努力します。
IPA日本支部の会員には、遊び場活動実践者、各種教育者、子どもの遊び・成長・発達に関する大学等の研究室・研究者、都市計画研究者・設計者、公園設計者、環境具研究者・設計者など、子どもの遊び・環境・環具に関する専門家たちが在籍し、その実践成果・研究成果を情報誌を通じて発表するなど、IPA日本支部は専門家集団としての活動を行っています。
また、これら専門家達の著書等、一般書店では購入困難な出版物の紹介も行っています。
| 「Play Rights」 | IPA本部機関誌 年4回発行、英語が中心 世界各国の遊びに関わる情報を載せている |
|---|---|
| 「プレイライツ(日本語版)」 | IPA本部機関誌 上記の「Play Rights」を日本語に翻訳 |
| 「International Play Jaournal」 | 子どもの遊びに関わる研究者の論文と実践者の意見の両方を取り上げ、研究と実践の結束をねらった雑誌 IPA本部から年3回発行 |
| 日本支部「ニューズレター」 | 主としてIPA日本支部の会員の情報交換を目的にしたもの 日本支部機関誌 年4回ほど、不定期に発行 |
| 「MY RIGHTS」 世界大会の報告書 入会案内書 子どもの遊ぶ権利宣言 IPAを知るために |
|
住所・氏名・電話番号・職業を明記し、郵便切手270円分を同封の上、IPA日本支部事務局宛お送りください。
小冊子「IPAを知るために」をお送りいたします。
事務局までお問い合わせください。
| 会員の種別と年会費 | |
|---|---|
| 種別 | 年会費 |
| 1.個人会員 | 10,000円 |
| 2.団体会員A (子どもの遊び場活動実践非営利団体) | 20,000円 |
| 3.団体会員B (その他の団体及び営利団体・法人) | 30,000円 |
| 4.賛助会員 (個人及び団体) | 50,000円 |
※団体会員・賛助会員には、日本支部発行の機関誌が2部届きます。
1997年4月 IPA日本支部
入会をご希望の方は下記の「会員の種別と年会費」をご確認の上、添付の郵便振替・払込取扱票に必要事項をご記入いただき、該当の会費をお振込みください。
入会後、小冊子「IPAを知るために」と「子どもの遊ぶ権利宣言」をお送りします。その後は、定期的にIPA本部発行の機関誌「Play Rights」と、日本支部発行の「日本語版プレイライツ」及び「ニューズレター」をお届けします。
〒592-8349 大阪府堺市浜寺諏訪森町東3-289-4
TEL 072-266-3013
FAX 072-266-3012
〒468-0026 愛知県名古屋市天白区土原3-1110
TEL/FAX 052-801-1554
E-mail:info@ipa-japan.org
口座番号 00190-5-701241
加入者名 IPA日本支部